【祖母の脳梗塞とリハビリ】訪問マッサージの世界へ

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当時、僕はあはき師(あんまマッサージ指圧師・はり師・きゅう師)の国家資格を取得し、接骨院で勤務していた。

多くの外傷、急性期の対応、その予後の調整などを主な対象とした施術から、訪問マッサージの世界に入るきっかけとなったのは、我が祖母の存在だ。

脳梗塞になり、悲観することなくリハビリに励む祖母の姿や、それを支えて下さった医療関係者の方々に感銘を受け、「自分もこうした人々のように働きたい。」「祖母のように病気を抱えつつも前向きな人を支える仕事がしたい。」そう思った、そんなお話。

身近な脳梗塞、初めての脳梗塞

日本人の死因、5本の指に入る脳梗塞。あはき師の国家試験に向けても、特によく勉強したのを覚えている。しかしそれはあくまで試験のための勉強である。好発年齢、原因となる生活習慣、脳梗塞のタイプ、その予後などまさに教科書に載っていることはわかるけど、「身近な人が脳梗塞になったら?」できることは少ない。僕だけじゃないよね?

祖母が脳梗塞になった時も、僕には何もできなかった。

集中治療室。一命は取り止めた。目線は泳いでいる。声は聞こえているようだ。呂律は少し怪しい。握り返す手は力弱く、冷たい。

とりあえず生きていて良かった。それしか僕に言えることはなかった。本心だが、自分がなんとも情けなかったのを覚えている。

医療関係者皆さまのおかげで、回復も早く、一般病棟にうつり、リハビリ専門の病院へ転院。ありがたいことに。

リハビリ専門の病院が僕の職場と近かったこともあり、何度か顔を出した。その時の様子は、まだ鮮明に覚えている。

脳梗塞後遺症を抱える祖母のリハビリ

訪れたリハビリ専門の病院には、入ってすぐのところに広場があり、そこでたくさんの人がリハビリをしていた。

姿勢の良い理学療法士さんと、それに従う患者さま方。その中に、祖母の姿をすぐに見つけた。

きっとあーだこーだ言っているに違いない。祖母は事あるごとにあーだこーだ言う。だがしかし、その姿に悲観した様子や嘆く様子はなく、とにかく一所懸命なんだ。「あんな必死ならあーだこーだ言っても良いだろう」なんて思った甘い孫の気持ちを知ってか、寄り添う理学療法士さんも真剣にうなずき、身振り手振りを合わせて説明してくれている。

少し声をかけて、「頑張ってよ」の一言でも残して去ろうと思ったものの、結局小一時間ほど祖母のリハビリを眺めていた。声をかけるなんてとんでもない。邪魔してはいけない。何か神聖なものを見せてもらっているような気持ちだった。あれはもはや、僕にとってはショーだ。祖母の姿はキラキラと輝いていたし、理学療法士さんも素敵だった。僕は祖母が誇らしかった。

失意の底でも、前を向いていられるか

祖母の姿に、人の生きる力強さを感じた。そして、それを支える人の存在の大きさを感じた。

自分自身、接骨院という場で、誰かをサポートすることはできていたと思う。だがしかし、祖母の姿を見ていると、もっと違う誰かに、適切な手を届ける必要があると感じた。「僕のばあちゃんがすごい人でね」と、同じ病に悩む人に話すことができる気がした。

それが、僕が訪問マッサージの世界にきたきっかけだ。そして、かれこれ3年ほどが経とうとしている。

在宅医療における訪問マッサージの立ち位置としては、それほど大きな役割と認識されていないのが現状だ。どうしても、「マッサージ=慰安、リラクゼーション」というイメージが強く、『医療』というカテゴリーと認められることは難しい。

こうしたイメージを変えていくのも、僕たちあはき師のこれからの実績次第、ということになる。

いつだって、どんな状態だって、前を向いて、希望を持ち続けて欲しい。

「もしかしたら○○ができるようになるかもしれない。」「昨日より◎◎の動きができるようになった。」

そんな小さな積み重ねを、次の目標の糧にして。

自分の患者さまは、あの時の祖母のように輝いているか?前向きに頑張ってくれているか?

ありがとう、ばあちゃん。

あの時頑張ってくれたから、ばあちゃんの今があり、

あの時頑張ってくれたから、僕の今がある。

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